20091101第1回しまだ大井川マラソンinリバティ

20091101しまだ大井川マラソン

【ダイエットログ】

体重 71.6
体脂肪率 20.2
朝食 納豆ごはん★味噌汁☆アルフォート
昼食 ジャガイモとひよこ豆のカレー☆ナン★ミニサラダ☆アイスコーヒー[アガン]
夕食 豚バラ野菜炒め☆ゴーヤチャンプルー★アボカドサラダ☆アサヒザゴールド-★日本酒1☆大人のスプーンドルチェ
おやつ・夜食
摂取カロリー 2115
消費カロリー 2056
体調 3:普通

3回目のフルマラソンは「しまだ大井川」

過去のマラソンを振り返ることにしてはみたが、すっかり1ヶ月に1回のペース。
ただただ辛かった「かすみがうらマラソン」から6ヶ月後、3回目のフルマラソンとなったのは、「第1回しまだ大井川マラソンinリバティ」。
後に何度も出場する第1回大会のはしりではあるが、そもそもここまでの6ヶ月は、まーぶーのランニングに対する取組みや環境が大きく変わった時期だった。

かすみがうら直後の駅伝はお遊び

かすみがうらの直後となる5月には2回の駅伝に出ている。
これは、かすみがうらの前から計画されていたもので、1つ目は、
EKIDENカーニバル2009 東東京大会 
これは過去2回の駅伝と同じく、野川のラン仲間と走ったものだから、これまでの延長戦上とも言える。
次の、
第5回谷川真理駅伝
は、当時の本所属のメンバーと走ったもので、真剣に走っているとは言えない、お遊び状態。
もちろん、それはそれで楽しいものだった。

「キントラ」に参加するようになった

この5月にもう一つ大きな変化があった。
始めて「キントラ」に参加した。
トラックを走るということ自体が新鮮な出来事だし、少しランへの真剣度が高まるきっかけになった。
そして、今もつながる「オーリンゲン」のメンバーとのジョグノートを通した交流が盛んになった。
5月15日に最初にキントラに参加し、終了後に反省会。
とはいえ、湯島が勤務先なので毎週行けるはずもなく、それとは別にオーリンゲンさんと清水湯から皇居に走り、そのコースに後日奥様を案内し、6月20日には決定的ともなる坂道ランのイベント
ここでまーぶーがバテバテの中、奥様は喜々として坂道を走り、その後の方向が決定づけられた。
翌週の6月26日には奥様もキントラに初参戦し、以降奥様の方が参加率が高まり、どんどん差が開いていった。

「第1回しまだ大井川マラソンinリバティ」にエントリー  

そんな中で6月には「第1回しまだ大井川マラソンinリバティ」へのエントリーを決めた。
つくば、かすみがうら、と茨城の大会が続いたが、初の宿泊を伴う遠征。
秋のフルマラソンということで、他にも選択肢はあったように思う。
たぶん、この時は「第1回」の魅力に引き付けられたんだろう。
周りにラン仲間が増えて来ると、色んな大会に出た経験談を聞かされる。
第1回大会はまっさらなので、条件は皆同じ。
テンションが上がって、すぐにホテルも決めたし、こうなると練習にも気持ちが入り、暑い季節でもよく走ったように記憶している。

「高野進ランニングクリニック 」 に参加 

その一環として「高野進ランニングクリニック 」の存在も大きかった。
 もともと  「オーリンゲン」のメンバー が集うきっかけとなったものらしく、すすめられて抽選に申込んだら、奥様ともども当選した。
全5回のクリニックは世田谷陸上競技場のトラックを使った本格的なもの。
箱根駅伝に出るような有名大学の選手が教えてくれたりして、後にも先にもないような真剣な練習をしたような気がする。
後にも書くが、5キロ、10キロの記録は飛躍的にのびたような気がする。

職場も変わった

生活面でも大きな変化があった。
2007年8月から2年間在籍した「事務所」を卒業。
事務所時代はとにかく飲んでばかりの生活だったが、出張はあったし、走る時間を作ろうと思えば自分でやりくりすることが出来た。
職場が都心だったし。
9月からは普通のサラリーマン生活に戻ったが、長いブランクでなかなか仕事がはかどらず、ただ帰りが遅いだけの日々。
平日に走ることは難しくなった。

事前の走行距離はまずまず

そんなこんなの走行距離は、
5月・・・128.1キロ
6月・・・125.8キロ
7月・・・125.9キロ
8月・・・134.0キロ
9月・・・216.4キロ
10月・・・171.5キロ
となり、コンスタントに今以上の距離を走っているし、9月などはこの頃としては破格の200キロ超えとなっている。
最長距離としては25キロだったが、9月~10月は奥様と一緒に走る機会が多く、最近では考えられない傾向だ。

スピードはついてきたが、距離は不安

フルマラソンに向けた仕上げとして、走力はそれなりについていたように思う。
10月3日にランニングクリニックで10キロのタイムトライアルがあり、49分21秒と初めて50分を切ることが出来た。
翌日にも「グリーンリボンランニングフェスティバル」という神宮外苑を走る大会で、10キロを50分8秒とまずまず。
一方で一番大事な2週間前のハーフマラソンはネットで辛うじて2時間を切るレベル。
暑さにやられたこと、長い距離の練習が不足していたこと、そして仕事そのものが順調とは言えないところで、2週間後の記録を暗示していたかもしれない。

ガーミンのGPSウォッチを購入

出発前の特筆すべき事項としては、ガーミンのGPSウォッチを購入したこと。
今ではGPSウォッチなど当たり前だし、スマホを持っていればGPSで記録をとることが出来る。
しかし、この当時はようやくGPSウォッチを持つ人が周囲に出て来た頃。
走った距離など、地図上でなぞって計測するなんてのは、当たり前の時代だった。
夫婦そろって購入したので、かなりの出費だったのだが、並行輸入品ということで、届いたのは本番の数日前。
本番に向けてはほぼ事前に試すことは出来なかったが、記録を別にした楽しみは出来た。

初めてのマラソン旅行

そして、夫婦そろってのマラソン旅行はスワロを預けるところから始まる。
飯能まで行き、飯能から静岡(島田)まで運転するという強行スケジュール。
島田に行くと、コースの途中を軽くランニングし、カーボローディングを兼ねて地元のとんかつ屋。
その後のフルマラソンは夫婦別々の大会に出ることが通例になったので、二人そろって前泊なんてスケジュールは最初で最後だったと思う。
でも、この時点では4時間ちょっとくらいで走る気だったんだよなあ。

夫婦で暑さにやられてしまった

当日はかなり残念な結果だった。
まーぶーは暑さにやられたのに、前半のオーバーペースにたたられ、中盤は歩きまくり。
それでも自己ベストは更新できた。
奥様は熱中症気味になりリタイヤ。
暑さにやられたこともあるが、強い風にも原因があったと思う。
その後のレースでも感じたことだが、河川敷コースは要注意だ。
レース自体もイマイチな結果で、帰りの渋滞もひどかったが、大会自体には満足した2日間だったと思う。
このレースも特にこれといった完走記を書いていないのは、結果がこんなだったからだろうか。
この1週間後に世田谷246ハーフマラソンがあり、その後もランのイベントは続いていった。
第1回大会には、その後も何度も出場するし、やはり思い出深いレースだったと言えよう。

しまだ大井川マラソンのページへ

しまだ大井川マラソン

コメント

タイトルとURLをコピーしました