中断していたマラソンの振り返り
これまでのマラソンの記録を振り返るシリーズを昨年の5月にスタートしたのだが、3回目のフルマラソンである「第1回しまだ大井川マラソンinリバティ」について昨年の7月15日に記事を書いてからパッタリ途絶えてしまった。
理由はハッキリしていて、2回目が「かすみがうら」、3回目が「しまだ大井川」となったフルマラソンは、4回目が「かすみがうら」、5回目が「しまだ大井川」ということで、このあたりのマラソンが一番つまらない。
一方で、この先にはサブ4を達成したマラソンに続いていくわけで、ランニング関係のイベントは最も盛んな時期だっただけに、どのあたりからアプローチしていいかと思っているうちに、先のばしになっていた。
本当にマラソンなんか走ってたのか?
そうこうしているうちに、松江から東京に戻ることになり、世田谷から調布に戻ってきた。
ランニングのモチベーションは上がるかと思いきや、マラソンを走っていたこと自体が自分とは無関係なことのように思えてきた。
今さらこんなの振り返ってもなあ。
しかし、これではいけないと思い直した。
この一番つまらない部分を乗り越えないと、いつまでたっても先に進めない。
先に進めば少しはやる気になるかも、とも思い諦めて振り返ることに。
ランニングクリニックに通う
しまだ大井川の1週間後(2009年11月8日)には「世田谷246ハーフマラソン」。
もともとこの大会に出るためにランニングクリニックに通ったりしていたのだから、こっちの方がメインだったかもしれない。
ランニングクリニックでは、基本的な走り方を学んだり、箱根駅伝に出場するような大学生をペースメーカーにして走ったりと、新しい経験が出来た。
一緒に参加したラン仲間との交流もたのしかった。
世田谷246でハーフの自己ベストを更新
世田谷246の結果も1時間52分51秒と、大幅に自己ベストを更新。
フルマラソンはともかくとして、ハーフレベルだとそこそこ走れるくらいの走力はこの頃ついていたということだろう。
年内の大会はここまでだったが、その後もランは充実していた。
初めて「よこやまの道」を走ったり、鎌倉まで50キロ走ったり。
ラン仲間もどんどん増えて行ったような気がする。
第20回かすみがうらマラソン申込み
4回目のマラソンとなったのは「第20回かすみがうらマラソン」。
申込んだのは12月15日。
まーぶー的にはそんなにフルマラソンを走りたいという気持ちはなかったのだが、しまだ大井川でリタイヤしてしまった奥様はなんとかサブ4を目指したいという気持ちがあったようだ。
11月の「つくばマラソン」は二人で応援に行ったのだが、多くのラン仲間が成果を出していて、もっと頑張りたいという気持ちも強くなったのだろう。
奥様は疲労骨折
申込んだ時点で大会までは約4ヶ月。
どちらかと言えば、楽しく走っていた時期なので、ここでようやく目標が定まったというところ。
一方で奥様は疲労骨折が発覚。
それだけ走り込んでたんだよなあ。
奥様程ではないが、まーぶーもそれなりには走ってたはずだし。
もともと奥様のためにもと申込んだはずが、結局まーぶーだけが頑張ることになってしまった。
このあたりが微妙な大会になった。
千葉マリンマラソン
一応、このマラソンに向けては順調にレースが入った。
もともと予定していたのが、1月24日の千葉マリンマラソン。
このハーフマラソンははるか10年以上前にエントリーだけして走らなかった大会。
(雪で中止にはなったが、実施されていても走らなかっただろう)
マリーンズの本拠地である千葉マリンスタジアムがゴールということもあり、それなりに気合が入っていたのだが、後半バテて、世田谷246の記録を上回ることは出来なかった。
八王子夢街道駅伝
本来次は青梅マラソン(10km)の予定だった。
2月7日に八王子夢街道駅伝という、ロードを走る本格的な駅伝大会に補欠でエントリーしていたのだが、いわゆる名義貸しという認識。
それが2月1日になって、メンバーのうちの一人が骨折したので走ってくれという依頼。
これはさすがに参った。
何せ襷リレーが遅れるとそのまま失格という緊張感がある。
とはいえ、1週間前なので何が出来るわけでもなく、当日はひたすら抜かれまくりつつ、まーぶー史上何本かの指に入るような真剣なランだったと覚えている。
青梅マラソンで10キロ
そして、2月21日は予定通りの青梅マラソン。
日本有数のマンモスマラソン大会であるが、メインの30キロに対して、まーぶーが出場する10kmはおまけのようなもの。
歴史ある大会がどれくらい盛り上がるものなのかを体感しつつ、走りは真剣。
前半上りで後半は下りというコースで、まーぶーは追い込み型なので、後半の5kmは22分22秒と、まーぶー史上最速といっていいタイム。
立川・昭島マラソンでリベンジ
八王子駅伝といい、2月は結果的にいいスピードで走ることが出来たが、フルマラソンの2ヶ月前という割には長い距離は走っていなかった。
3月に入ると14日に立川・昭島マラソン。
こちらは2年連続で、前年は歩いてしまったハーフマラソンだが、見事にリベンジを果たし、初めて1時間50分を切ることが出来た。
とはいえ、1ヶ月後のフルマラソンに向けて順調に距離を踏んできたとは言えなかった。
走り込みは足りていない
しまだ大井川マラソン以降の距離を見てみると、
2009年11月・・・157.6キロ(しまだ大井川マラソン含む)
2009年12月・・・150.3キロ(鎌倉に行った50キロがきいている)
2010年1月・・・159.5キロ(実は千葉マリンマラソンの前は気合が入っていた)
2010年2月・・・102.1キロ(スピードレースはしたが、距離は走っていない)
2010年3月・・・107.5キロ(フルマラソン前月とは思えない距離)
と、距離は走れていない。
特に3月はハーフマラソンも走っているし、月末には初の30キロ走を実施しているが、なんとも一夜漬け感が否めない練習量だったことがよくわかる。
まずまずの4時間16分33秒
4月のマラソンというのは、仕事の関係でどうしても事前の練習量は期待できない。
4月にも入ってからも一度長い距離の帰宅ランはしたものの、それほど走らなかった。
そして迎えた当日は、いきなり電車の時間を勘違いするアクシデントはあったものの、無事にスタート。
前年に比べればはるかにましで、途中歩いたが自動販売機で買ったコーラを飲んで復活し、35キロから40キロは練習不足で歩いたものの、40キロ以降走り切ってのゴールは気持ちよかった。
記録もネットで4時間16分33秒ということで、いつかはサブ4も狙えるような気にさせてくれるタイムだった。
奥様を始め、応援もあったし、終了後の打ち上げも含めて楽しい大会だったと記憶している。
以降、かすみがうらは走っていないのだが。
そして、かすみがうら以降、はじめての故障とも言える痛みに苦しむことになる。
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