自宅マンションを賃貸に出した
山陰に転勤になった際に、自宅マンションは賃貸に出した。
その辺の経緯は2019年3月22日の記事に記載している。
(特に関係ないが、写真は3年前に自宅マンションを引越した特のもの)
この段階ではまだ山陰に出発すらしてないので、実際に借り手がついたことまでは書いていない。
正確に記録を残してはいないが、自分の家が広告になって借り手を募集しているのをネットで見るのは、不思議な気分だった。
それでも5月中旬には借り手が決まり、6月から家賃収入が入ることとなった。
これは経済的には良いことである一方で、借り手が出ていかない限り、東京に戻っても自宅に戻れない、という悩みの始まりでもあった。
借り手はいつ出て行くかという悩み
借り手が保護されているので、こちらの都合で出ていってもらうわけにはいかない。
普通に考えれば、長期間家賃を払い続ければ大金になる。
どこかで自分の家を購入することを考えるだろうし、何れ借り手は東京を離れるかもしれない。
これも気休めのようなもので、考え方は人それぞれ。
会社から補助が出ているなら、案外負担は無いかもしれないし、今の若い人は家を所有するという概念がない人もいると聞く。
一応借り手の職業や家族構成もわかっているのだが、だからどうなるか予想出来るものでもない。
山陰は出ることは確定的だった
2年経過すると更新となった。
当然のことではあるが、この時は家賃を上げることもしなかった。
ずっと住み続けられると困るので、値上げした方がよかったか、とも反省したものだ。
山陰は3年で異動しようと思っていたし、昨年末の段階でほぼ異動は確定的だった。
ただ行く先は分からないし、東京に戻ることはないと踏んでいた。
出来れば山陰よりも東京に近い場所で(交通の便を考えれば、ほとんどの場所が当てはまる)、次の2年または3年の任期の間に借り手が出ていって、その次の異動で東京に戻れるよう働きかけようと考えていた。
まさかの東京への異動
しかし、3月4日に東京に戻ることが決まった。
東京に戻ることは想定外で、東京で現在の仕事をすることへの不満が書いてあるが、まさにその通りの状況になっている。
まあ、今はそういうことは書きたくないので、仕事の話はパス。
ここで決まったのは、「東京に家があるのにその家に住めないということが決まった」ということだ。
もちろん会社に申請すれば社宅は借りれるのだが、どこになるかわからない。
結果的に現在の社宅が決まったのは3月10日くらいだったと思うが、9日に思いがけない電話が来た。
(今後長いシリーズになると思うが、とりあえず「続く」)
コメント
ちむどんどんする~!
終りの見えない(まだ見えてない)グダグダ話が続きます。