ロッテを日本一にした監督
400勝投手の金田正一さんが亡くなったとのニュース。
200勝すら今後出てくるかがあやしい時代だけに、400勝なんて、あり得ない世界。
300勝だって、鈴木啓示くらいしかイメージはないが、あと4人いる。
鈴木敬示が現役を退いたのは1985年。
400勝って何なんだろう?
そんなかねやんは、ロッテを日本一にした監督であり、その後元気なようなよくわからない解説をしていたイメージ。
更には再度ロッテの監督に復帰した。
川崎時代最後の監督
第二期かねやん監督の1990年と1991年というのは、まーぶーが大学3~4年。
川崎球場でたくさんの試合を観ていた。
その翌年から千葉に移転したから、川崎時代最後の監督。
いまや川崎時代を思い出す機会も少なくなった。
かねやんは古い時代の人だが憎めない人だった。
マリン移転後のロッテ、というかマリーンズは川崎時代とは別のチームに感じてしまう。
川崎のロッテオリオンズの郷愁の念を抱かせる人がまた1人いなくなった。
現役時代のことは知らない。
デビュー戦の長嶋を4打席連続三振なんてのは、生まれる前の話。
ご冥福をお祈りする。
コメント
実はオリオンズファンだったことがある。
1974年の日本一。
弘田、有藤、山崎裕之、得津、ラフィーバー、アルトマン。
木樽、成田、留広、村田、八木沢、三井、倉持。
留広が金やんの半分で17なら、じゃあ俺は倍の68!と学校の体操服をサインペンでオリオンズユニ68番にしていた。
おバカな中学一年生だった。
ロッテオリオンズ、懐かしいなあ。
大学生の時に何度川崎球場に行ったことか。
稲尾が監督の頃が良かったなあ。
有藤はひどかった。
その後を受けた金やんは川崎球場の幕引き。
千葉に来てからもう25年以上たつんだから、昔の話。