今回姫路に来るにあたって、どうしても行きたかったのが書写山圓教寺。秀吉が黒田官兵衛の進言により、毛利攻めの拠点としたことで有名だが、その軍師官兵衛のロケやラストサムライの撮影もここで行われている。
子供の頃から何度か姫路に来ているとは言っても、それは姫路城に来ているということと同じで、ここは城からもそれなりに離れているから、簡単には行けない。
書写山の麓までは姫路駅から5キロちょっとだから、脚の調子が良ければジョギングで来るつもりでいたが、脚を明日に温存するための自転車で、だいたい30分くらいでロープウェイ乗り場までやってきた。
ロープウェイは往復900円と、なかなかのお値段で、ものの4分程度で着いてしまう。
ロープウェイを下りたら後は楽に観光できるかと言えば、ここからがかなり歩かなければならない。
そもそも境内は約18ヘクタールという広さで、メインの一つである摩尼殿までが徒歩15分とあり、それもかなりのアップダウンで、そこそこ脚に負担がある。
そのアップダウンを乗り越えて目にした摩尼殿は確かに素晴らしい。
なんといっても木のぬくもり、落ち着きを感じる建造物だ。
そもそもこのお寺は、康保3年(966)性空上人によって開かれた、比叡山と同じ天台宗の修行道場のものだが、いかに修行のためとはいえ、よくこんな山奥にこんなものを作るよなあ。
上に上がってみると、なんとなくご利益がありそうな気がして、しっかり明日のマラソンの完走をお願いし、お守りまで買ってしまった。
スマホにでもくっつけて、明日ウエストポーチに入れて走ることにしよう。
摩尼殿からさらに歩いて、お次は大講堂と食堂。
どちらも立派な建物だが、食堂の方は未完成のまま数百年放置されていたものを、昭和に入って修理したらしい。
食堂の2階が展示室になっいて、仏像や寺の歴史を勉強。
秀吉が毛利攻めの本陣としたことで有名ではあるが、この寺にしてみれば災害以外の何物でもない。
「天正6年(1578)秀吉乱入し本陣とする。帰途仏像その他多数持ち去る。この頃まで27000余石の寺領を有していたが、秀吉によりすべて没収」とのこと。
以降はそれ以前のような隆盛にもどることはなかったらしい。
軍師官兵衛の撮影で使われたことも展示されていたが、なんとも複雑な気分だ。
食堂を出ると、あとは奥の院まで行ってからロープウェイの駅にもどったが、たっぷり2時間以上かけて観光。
最後は展望台から姫路の街を見下ろして下山。
前の記事で書いた菜の花畑に感動しつつ、明日あそこまでたどり着けるだろうか、という思いを抱きながら、自転車をこぎ出して書写山を後にした。
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