島根県から百貨店がなくなった

2024日記

【ダイエットログ】

体重 73.2
体脂肪率 21.4
朝食 納豆ごはん★味噌汁☆バウムクーヘン
昼食 メンチヒレカツ弁当
夕食 豚バラ白菜煮★イサキ刺身☆ほうれん草
おやつ・夜食 焼酎お湯割り
摂取カロリー 2074
消費カロリー 2127
体調 3:普通

一畑百貨店が閉店

今日もしんどい1日。
まーぶーの周りはもっとしんどそうたが、まーぶーは独りで苦しんでいる感じ。
今日は昼ご飯も2日連続の弁当で、書くこともこれといってないし、週末の余りもない。
ただ、週末に印象的なニュースがあった。
それは『「一畑百貨店」65年の歴史に幕』というものだ。
ニュースから引用する。
‘’島根県内唯一のデパートとして「街のシンボル」でもあった「一畑百貨店」が、2024年1月14日、その歴史に幕を下ろした‘’
引用ついでに、その65年の歴史も「1958年(昭和33年)の創業から65年の歴史、そして、閉店までの経緯を振り返る」という記事から。

65年の歴史に幕

1958年10月に創業した「一畑百貨店」。
当初は、島根県庁近くの松江市の中心街・殿町に店舗を構え、1982年には隣接地に新館がオープン。「ツインタウン」の愛称で市民に親しまれた。
その後、1998年に現在のJR松江駅前に移転。「街のシンボル」として、駅前の風景を形づくった。
歳暮・中元商戦では、社員が1軒1軒訪ねて売り込む「ドアコール作戦」を展開。出発式は季節の恒例行事にもなった。
ピーク時の2002年3月期の売り上げは108億円に達し、「一畑」は、山陰のほかのデパートからも一目置かれる存在だった。
しかしその後、大型ショッピングセンターの進出やネット通販の台頭により、売り上げは年々減少。直近では、ピーク時の約4割、43億円まで落ち込んだ。
苦境を打開するため、2022年に大規模なリニューアル計画が持ち上がったが、新型コロナウイルスの影響もあり頓挫。打つ手を失った。
閉店方針を明らかにした当時の川内孝治前社長は、「地方の、20万人しかいない都市の単一の百貨店では、テナントに出店いただけなかった」と、経緯を説明した。

まーぶーと一畑百貨店

上の記事にある最初の一畑百貨店は、山陰にいた時のまーぶーの職場から歩いて2分。
県庁は近いが、現在ではとても百貨店の好立地とは言えない場所。
駅前に移転したのは必然とも言えよう。
その駅前の一畑百貨店に初めて訪れたのは2016年の5月。
えびだいに出るために初めて松江に行き、移動途中にお弁当を買った
一畑百貨店の建物を写真に撮ったのは、この時が最初で最後だろう。
山陰勤務になり、最初に奥様を一畑百貨店に連れて行った時、奥様のガッカリ感は半端なかった。
というか、これが島根の現実だった。
一畑百貨店の買い物といえば、ホワイトデーとついでに食堂的な一畑ダイニングで昼ご飯を食べたくらい。
山陰を出る際に置いてくるお菓子の調達すら、ままならなかった。
食堂街は地元の出雲蕎麦屋にも行ったなあ。

松江はどうなっていくのか

いつも人がいないなとは思っていたが、地方の百貨店としては、それなりに機能しているのかと思っていた。
それが、山陰を出てから1年、閉店のニュースが入ってきた。
まあ、仕方ないというか、やっぱりというか。
島根県唯一の百貨店だっただけに、これで島根県から百貨店が姿を消した。
百貨店「ゼロ」の都道府県は、山形、徳島に続き、全国では3例目だという。
働いてた人の雇用をどうするかというのも大事だが、問題は跡地の活用。
今のところ決まっていないとか。
何せ松江駅には駅ビルというものがない。
松江駅前のシンボル的な建物だけに、有効なものにしてほしい。
とはいえ、そもそも利用客が少ない松江駅。
どのような活用方法があるのか。
次に松江に行く機会はあるのか、2度とないのか。
10年後くらいの松江を見てみたいような、怖いような。

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